頭のおかしな奴が歴史を作る
東京偏向の報道が無くなる2020年
2020年1月末で、トーチュウの「365日FC東京」のサービス提供が終わる。
http://365fctokyo.chunichi.co.jp/index/365_editor/ARTICLE1/2019112600002
東京中日スポーツ(トーチュウ)の親会社は名古屋系のアレなんで、名古屋グランパスに肩入れする義理はあってもFC東京に肩入れする義理はこれっぽっちもない。
それではなぜ、「親はキリスト教徒なんだけどイスラム教徒の彼と駆け落ち」みたいな事態になったのか。それは「頭のおかしな奴が歴史を作った」ことによる。
神託か妄想か。それは本人のみが知る。
その男、高橋正和。トーチュウの記者。(以下マサカズ氏呼ばわり。)
2001年頃に 雷に打たれ UFOにさらわれ FC東京の試合を見て、「東京は今後面白いことになる」と神託をうけ「365日FC東京」という紙面を立ち上げる。
その頃の東京はJ1に昇格したばかりハラヒロミ第一次イケイケドンドン政権の時代で、極々一部の好事家(=物好き)からは注目を浴びていても、世間的なニュースバリューはほぼゼロという状態。つまり「FC東京を応援してます!」と学校や会社で公言することは、おっぱい丸出しでハーレム街を歩くぐらい危険なことだった。
社内で毒を盛られる。そんな時代が俺にもありました。
そんな東京を己の直感のみで取り上げることを決意し、トーチュウ社内で跋扈するグランパス派やドラゴンズ派またはフォーミュラワン(F1)派の暗躍にも負けず、ただひたすら記事を更新し続ける男マサカズ。
会社に戻らず、自宅と小平とプール(健康維目的)を往復しながら、アマラオ、ケリー、ジャーンの偉大さを世界に発信続けるマサカズ氏。
当時流行っていたブログで見つけた頭のおかしい奴らに声をかけ、酒を飲みながら東京について熱く語るマサカズ氏。
「コイツ頭おかしいだろう」という当初の周りの視線は、いつしかマサカズ氏の熱量に押され「コイツがここまで言うならば、東京って実はすごいんじゃないか」という集団的勘違いを呼び起こし、その勢いが2004年ナビスコカップ(当時。現在のルヴァンカップ)初優勝につながったのである。
俺たちのトーチュウ。俺たちの365日FC東京。
「365日FC東京」が立ち上がった2000年前半の時代は、まずJリーグ自体の報道が少なく、他紙でFC東京の文字を見ることがほとんどない状態だった。そもそもクラブに代表選手もおらず、佐藤由紀彦(現トップチームコーチ)が「日本代表候補」という謎のポジションを得て合宿に呼ばれるだけでも、小平で提灯行列が起きるぐらいの時代だった。
SNSも未発達だった。東京の情報が向こうからやってくることはなく、スタジアムや小平に足を運んで情報を取りに行く、もしくは行った人から話を聞くしかなかった。
ピヨピヨ東京が鳳凰になるか焼き鳥になるか誰も予測がつかない状況下で、特大の熱量で肩入れする。
「なんでトーチュウは東京を取り上げてくれたんですか」とマサカズ氏と飲んだ時に聞いたことがあるが、ビール片手に「面白いと思ったから!」とご機嫌に答えただけだった。
頭のおかしな奴が歴史を作る。
そのひとつの歴史がまもなく終わりを迎える。
今後東京がどれだけ続いていくか分からないけれど、東京の黎明期に、青と赤に心奪われ、東京のために働いてくれた伝説の記者(というか仲間)がいたという事実と感謝の気持ちを書き残したくて、この記事を書いた。