巻弐:転進。ポゼッション夢幻の如く(2005-2009)
まめ知識:民明書房の社長は大河内民明丸と言う
ここに一冊の本がある。
民明書房刊『好好東京青赤蹴球列伝(ハオハオトンキンチンチーツゥチィゥリイェユン)』
中国古文書と近所の野良猫の生態の碩学、業平橋高架下酩酊科学大学院の矢島金一博士によれば「堅守速攻を掲げ天下統一を成し遂げた時の皇帝・直金大が配下の渡革咲に編纂を命じた愛と勇気だけが友達さなBLLN(ボーイズラブライトノベル)」とのこと。
前回「巻壱:払暁。部活サッカー発ナビスコ優勝行き(2000-2004)」では、J1昇格の2000年から徐々に力をつけてナビスコカップ初制覇となる2004年までのファンブックの歴史を振り返った。
今回はナビスコ制覇後のトーキョーファンブックの歴史を振り返りたいと思う。
【注記】以降使用しているファンブックの表紙は、私蔵のファンブックをスキャンしたものです。経年劣化により発売当初とは色味などに変化が生じています。
2005年
表紙のセンターには(自称)イケメンDFとして東京の歴史に名を刻む茂庭。この時代、ジャーンと茂庭が組んだCBは鉄壁そのものだった。ジャーンについては「一度は抜けても二度目は抜けぬ」という当時あった記事が思い出深い。
選手対談で「茂庭照幸×今野泰幸×石川直宏 真のビッグクラブになるために」。前年の2004年にナビスコ制覇をした勢いもあり、東京の次の目標はリーグ制覇へ。リーグ制覇してこそビッグクラブ、ではそのビッグクラブになるためには?という模索が始まったのもこの時代。
この時の東京はイケイケドンドンな時代だったこともあり、リーグ制覇も近いうちに成し遂げるでしょうと気楽に考えていたけれど、まさかその後15年経ってもまだ制覇できないとはこの時僕らは思いもしませんでした…そしてまさかこの数年後にクラブが今までのやり方とは180度違うポゼッションサッカーをめざして、臥薪嘗胆の時代を迎えるとも露も考えていませんでした。
「ビッグクラブ」というキーワードは浸透したものの、人により解釈が異なり、「じゃあどうすればいい?」という細部の詰めまでこの時は至っていなかった気がする。この年補強した外国人選手がダニーロという辺りに、クラブの軸が少しずつぶれ始めた兆候が現れていたのかもしれない。(ダニーロには罪はないが。)
2006年
表紙の一番左前段に並ぶ外国人選手に注目されたい。「東京史上一番いい匂いがするイケメン外国人選手」として名高い、ササ・サルセード。エルマタドール・ササ!
前年(2005年)補強したダニーロがおもしろ外国人としてはその能力を遺憾なく発揮したものの試合では全く実力を発揮できない、その前にヒロミの指示すら理解できないというアレだったのでさっさと見切りをつけて、シーズン後半から「リベルタドーレス杯得点王」「パラグアイリーグ得点王」「現役パラグアイ代表」と言う東京史上最高の肩書をもつ選手を補強。ちなみにササ獲得に尽力したのは、当時の東京国際部所属、現在はレノファ山口監督を務める霜田さん。
ササはダービーのロスタイムで勝ち越しゴールを決めるなど遺憾なく実力を発揮し、「これで2006年はササの年だ!」と我々の胸は夢と期待で膨らんだ。
しかし好事魔多し、月にむら雲花に風。
この2006年から監督に就任した東京史上初の外国人監督アレッサンドロ=ガーロはポゼッションサッカーを志向しFWにも守備を求める。「守備は基本したくない!」という純然たるFWだったササとは相性が悪く、冷遇されたササは7月にアルゼンチンのニューサーウスウェールズオールドボーイズにレンタル移籍。
そのガーロも結果を残せず、8月に解任。シーズン途中での監督解任は東京史上初。
ガーロのやり方にも問題はあったのだろうけど、それまでカウンター一辺倒だったチームに海外チームの指導経験を持たない監督を据えて、ポゼッションへスタイル変換を目指すという離れ技を無邪気にやらそうと考えたクラブの判断が、失敗の最大の原因だった。
2007年
表紙は、今野泰幸・石川直宏・茂庭照幸。赤嶺や平山も使って欲しかった。
2006年のガーロ失敗で懲りたフロントは、監督に再びハラヒロミを据える。ヒロミ復帰の新聞記事を読んで嬉しい反面「なんで?」と思ったのも事実だ。
2004年のナビスコ制覇でビッグクラブ化を目指したものの、2005年と2006年の停滞を受けてクラブ全体がチグハグし始めた。この年補強したのが「ワンチョぺ、エバウド、福西崇史」という「史上最大の不良債権×史上最大のネタ外人×ヤ●ザ」で、いったいトーキョーは何をどうしようと考えていたのか全く持って謎です。
しかも福西は翌年ヴェルディに移籍。馬鹿じゃねーの。
どう考えても暗黒時代に片足突っ込みかけていたトーキョーですが、未来への希望の種も撒かれていました。この年、長友が強化指定選手として入団。その辺りの話は過去記事参照。
2008年
表紙に、徳永、羽生さん、今ちゃんさん、そして東京の10番こと梶山。
ナビスコ制覇後、中二病の如く本人は至って真面目なものの側から見ればどっちつかずの不安定なシーズンを過ごした反省からか、東京は監督に切り札を投入。
その名は城福浩。東京の育成や強化に携わりながら、JFAに出向し2006年のAFC U-17選手権優勝を成し遂げるなど、華々しい経歴と理論を持ち合わせる監督。
ファンブックでも「東京の選手は能力はあるのに、試合でそれを発揮できずに苦しんでいる」と述べており、それを打破するために「Moving Football」のコンセプトを掲げて、チームとしてどう攻撃するか、どう守るかという理論を植え付けた。
人もボールも動くMoving Footballを実現するために、千葉より羽生さんを獲得。監督が掲げるビジョン実現のために、それにあった他チームの主力を引き抜いてくるというのはそれまでの東京にない選手獲得の姿勢だった。
そしてもう一つ記すべきことは、この年より梶山が背番号10をつけることになったこと。梶山については「東京育成の最高傑作」と言われるが、「東京育成が生み出した、はじめて将来に大きな夢を見ることができた選手」と言う方が正確かもしれない。梶山についてはあふれる思いがあるのでそのうち記事を書こう。
2009年
表紙に今野泰幸・カボレ・長友佑都。前年は獲得発表と同時にキャンプ地入りしており、謎の外国人選手扱いだったカボレがすっかりクラブの顔に。
前年に東京の切り札城福浩を監督に据えたことで直近数年間の低迷を脱した東京は、この年2回目のナビスコカップ制覇。センターバックのポジションにボランチの選手を配する「クワトロボランチ(今野・ブルーノクワドロス・梶山・米本)」がすっかり板につき、選手層も戦い方も整い、おまけに結果も出たし万々歳…と思っていたら、ナビスコカップ決勝前にカボレが中東に引き抜かれたり、城福監督が決勝で浅利をベンチ入りさせなかった件についてロッカールームでの会話を暴露してしまったりと、実は後年に炸裂する地雷がこの年にいろいろ埋まりつつあったことに今になって気づくのでした。
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次巻予告
巻参:交雑。世界制覇、J2、美しいサッカー(2010-2014)